2023年11月半ば、スナーク英首相はキャメロン元首相を新外相に任命した。 キャメロン外相は2010年から2016年まで首相を務めた。 が、イギリスが国民投票でヨーロッパ連合(EU)からの離脱を決めると、首相を辞任して政界から遠ざかっていた。 ▽ロンドン 経緯…
2023年11月29日、ヘンリー・キッシンジャーが100歳で亡くなった。 大著『外交』で知られる国際政治学者のキッシンジャー氏は、1970年代のアメリカ外交を代表する同国の外交官でもある。 ヘンリー・キッシンジャー氏が100歳で死去 評価分かれる米外交の大…
2022年2月にウクライナ戦争が始まると、フィンランドとスウェーデンが北大西洋条約機構(NATO)への加盟に動いた。 加盟申請はトルコの思惑で難航もしたが、フィンランドは2023年4月にすでに加盟を果たし、スウェーデンも年内に加盟を果たす見込みと報道され…
2023年11月、オランダで総選挙が行われた。 結果、極右(ポピュリスト)政党の予想外の勝利が明らかになった。 今回の選挙で各党が争点としたのは、移民問題だった。 ▽アムステルダム 総選挙の経緯 選挙前、オランダではルッテ(元)首相の下、連立政権が成…
イタリアの水の都ヴェネツィアは、深刻化するオーバーツーリズムの問題に最も悩まされている都市の一つだ。 そのため、ヴェネツィアは日帰りの観光客に入場料を課す方針を発表している。 世界初の試みだ。 ▽ヴェネツィア オーバーツーリズム オーバーツーリ…
バチカンは世界最小の国家として有名だ。 ローマ教皇の御座所で、イタリアのローマ市内にある。 そのバチカンで、公用車を全て電気自動車(EV)に転換する方針が発表された。 ▽ヴァチカン フォルクスワーゲン EVへの転換を実施するにあたり、教皇庁は独フォ…
シャルトル大聖堂。 その建築の物語は、以下のように伝えられている。 *** シャルトル大聖堂は、フランスのシャルトルにある大聖堂。 フランスで最も美しいゴシック建築の一つで、二つの尖塔が印象的だ。 *** 9世紀、シャルトルには昔からの教会があっ…
フランスと言えば、もちろんパリだ。 ここから、日帰りで観光できる町や都市も少なくない。 フォンテーヌブロー、ルーアン、ランス、モン・サン=ミッシェル。 リヨンも選択肢の一つだ。 しかし、今回はシャルトルを取り上げてみよう。 パリのモンパルナス駅…
2023年10月7日以降、ガザ地区でのイスラエル軍の軍事行動が連日報道され、人道的な観点から批判を集めている。 11月18日現在、イスラエルでの死者は1000人以上、パレスチナ人の死者は1万人以上だと言われている。 ビンラディン書簡 そのような中、奇妙なニュ…
チャンドラヤーン3号 有人ではなく無人探査機の話だよ。 2023年8月23日。 インドの無人探査機「チャンドラヤーン3号」が月の南極への着陸に成功。 世界初! 月の南極はクレーターや岩が多く着陸困難。 2023年8月20日、ロシアの着陸作戦は失敗。 2019年の「チ…
芥川龍之介(1892~1927年)の「蜘蛛の糸」は、『赤い鳥』創刊号(1918年7月)に掲載された、作者の童話作品の傑作の一つです。 鈴木三重吉は芥川と同じ漱石門下の先輩で、文壇デヴューを手引きしてくれた恩もあって、芥川は『赤い鳥』の創刊に協力したよう…
芥川龍之介(1892~1927年)の「大川の水」は、1914年に発表されました。 発表時、東京帝国大学文学部英文科の学生だった作者は、翌年、同文学部の『帝国文学』誌上に「羅生門」を発表しています。 芥川の生家は本所にあり、すぐ近くを大川(隅田川)が流れ…
芥川龍之介(1892~1927年)と言えば「羅生門」が最も有名ですが、この作品が発表されたのは、1915年11月のことです。 しかし、作者の自信に反して、「羅生門」は発表当初には、ほとんど反響を得ることができませんでした。 芥川が新進作家として文壇に登場…
芥川龍之介(1892~1927年)の「父」は、1916年5月に発表されました。 同年の2月には、「鼻」が発表されています。「鼻」は、師である夏目漱石の激賞を受け、「芋粥」(9月)と「手巾(ハンケチ)」(10月)の二作で文壇デヴューを果たすきっかけとなりまし…
芥川龍之介(1892~1927年)の「猿」は、1916年9月に発表されました。 同日には、芥川の「芋粥」が公の雑誌『新小説』誌上に発表されています(今回の作品は、同人雑誌の第四次『新思潮』に掲載)。 同作は芥川の最初の単行本『羅生門』(1917年5月)にも収…
芥川龍之介(1892~1927年)の「芋粥」は、1916年9月に発表されました。 この作品は、鈴木三重吉の『新小説』誌上に掲載されました。回覧雑誌や同人雑誌ではない一流雑誌に載った作品としては、初めてのものです。 掲載のきっかけは、同年2月の第四次『新思…
1916年1月、芥川龍之介(1892~1927年)は『読売新聞』上に、「松浦一氏の「文学の本質」に就いて」を発表しました。 発表の時期としては、1915年11月の「羅生門」よりは新しいですが、「鼻」が翌1916年2月の作品なので、その少し前に発表されたものと言えま…
芥川龍之介(1892~1927年)の「鼻」は、1916年2月に発表されました。 この作品は師の夏目漱石に激賞され、芥川は「芋粥」と「手巾(ハンケチ)」を、それぞれ『新小説』と『中央公論』に発表する機会を得ることができました。 同作を発表した第四次『新思潮…
約47.6万年前という年代 興味深い発見が報道されました。 アフリカ南部の国ザンビアで、約47.6万年前の木造構造物が出土したのです。 この報道のどこに興味深い点があるのじゃろうか? それは、約47.6万年前という年代にあります。 この年代は、ホモ・サピエ…
インドの人口は世界No.1! 2023年、インドが人口世界第一位の国となりました。 正確に言うとね? 2023年中頃、推計値で中国を上回る...... その推計値は、14憶2860万人。 中国の人口を290万人上回る数字だとか。 中国の人口は減少 2022年、中国の人口は減少…
芥川龍之介(1892~1927年)の「手巾(ハンケチ)」は、1916年、『中央公論』誌上に発表されたものです。 すでに、1915年に「羅生門」を発表していた芥川は、翌1916年の「鼻」が師の夏目漱石に認められたことをきかっけに、「芋粥」(9月)と「手巾」(10月…
芥川龍之介(1892~1927年)の「老年」は、1914年に発表されました。 当時、芥川は東京帝国大学文学部英文科に在籍していました。第三次『新思潮』に掲載された「老年」は、作者の作品で初めて活字化されたものなので、これを処女作とすることもできます。 …
芥川龍之介(1892~1927年)の「道祖問答」は、1917年に発表されました。 前年の「鼻」が師の夏目漱石に認められた芥川は、『新小説』に「芋粥」を、『中央公論』に「手巾(ハンケチ)」をに発表して、文壇デヴューを果たしていました。 1917年1月、「MENSUR…
芥川龍之介(1892~1927年)の「孤独地獄」は、1916年4月に発表されました。 前年の「羅生門」が意外にも反響を生まなかった芥川ですが、1916年の「鼻」が師の夏目漱石に認められたことで、「芋粥」、「手巾(ハンケチ)」で文壇デヴューを果たすことができ…
芥川龍之介(1892~1927年)の「ひょっとこ」は、1915年に発表されました。 同年、「羅生門」が『帝国文学』の十一月号に掲載されていますが、今回の作品は遡って、同誌の四月号に載ったものです。 これらの二作は、「羅生門」をも含めて、発表当初にはほと…
芥川龍之介(1892~1927年)の「私の文壇に出るまで」は、1917年8月に発表されたものです。 この頃の芥川は、前年の「鼻」が師の夏目漱石に認められたことで、「芋粥」や「手巾(ハンケチ)」で文壇デヴューを果たし、新進作家としてのスタートを切り出した…
芥川龍之介(1892~1927年)の「運」は、1917年に発表されました。 1916年の「鼻」が師の夏目漱石に認められたことをきっかけに、芥川は「芋粥」と「手巾(ハンケチ)」で文壇デビューを果たしました。 この頃僕も文壇へ入籍届だけは出せました。まだ海のも…
芥川龍之介(1892~1927年)の「MENSURA ZOILI(メンスラ ゾイリ)」が発表されたのは、1917年のことです。 タイトルはラテン語で「ゾイリア国の物差し」という意味です。 芥川は前年、「鼻」が師である夏目漱石に激賞されたことで、「芋粥」や「手巾(ハン…
芥川龍之介(1892~1927年)の「羅生門」は、1915年、『帝国文学』誌上で発表されました。 しかし、作者の自信にも関わらず、この作品は発表時、ほとんど反響を得ることができませんでした。 芥川が文壇デヴューを果たすのは、翌年、「鼻」が師である夏目漱…
芥川龍之介(1892~1927年)の「文学好きの家庭から」は、1918年に発表されたものです。 この年、芥川は海軍機関学校の英語教師を務めながら、「地獄変」(5月)、「蜘蛛の糸」(7月)、「奉教人の死」(9月)、「枯野抄」(10月)などの、初期の傑作を世に…