宇宙人のliynだよ。
西洋では16~17世紀にかけて、天文学上の天動説から地動説への変転があった。
1543年にコペルニクスが『天球の回転について』で地動説を提唱する。
その後、旧い世界観を破壊したのは、ガリレオ、ケプラー、ニュートンだった。
この天動説からの脱却を科学革命というよ。
天動説
アリストテレス(前384~前322年)の学説が、キリスト教と共に、中世のヨーロッパを支配していた。
アリストテレスは四大元素説(万物の根源は水、火、土、空気)を元に、天界には第五元素エーテルが満ちていると考えた。
天には球殻上の天球があって、最初の天球には月があり、最外殻の天球には無数の恒星が張り付いていると、彼は言っている。
天動説をより精緻なものにしたのがプトレマイオスだ。
科学が長期的に停滞する西洋では、アリストテレスとプトレマイオスの説に則った天動説が世界観の中心になっていたんだね。
望遠鏡
1609年、ガリレオはある知らせを耳にすることになる。
それは、オランダの眼鏡職人が望遠鏡なるものを制作したという話題だ。
望遠鏡は筒の両端にレンズを取り付けたもので、最初のものは性能が悪く、倍率は精々2~3倍、ぼやけたり、歪んだりして実用的ではなかった。
ガリレオは数学者、科学者であると共に、技術者でもあった。
なんと彼は、情報だけを頼りに、より完璧な望遠鏡を制作してしまった。その倍率は30倍にも及んだんだよ。
天体観測
月は当時、水晶のようにツルツルした完璧な球体と考えられていた。
しかし、自作の望遠鏡を用いたガリレオは、クレーターででこぼこした月の本当の姿を観測することができた。
その後も、ガリレオは木星の衛星、天の川、金星の満ち欠け、太陽黒点などを次々に観測していった。
そのどれもが、天界は完全で静止した世界だという教会の常識に反していた。
なお、下はガリレオが月をスケッチしたものだよ。
教会
木星の衛星や太陽黒点の観測など、ガリレオは多くの支持者を持っていた。
実は、教会側の人間にも好意的な者は少なくなかったんだ。
しかし、事はすでに個人的な問題だけではなくなってしまっていた。
コペルニクスが数学的に示したに過ぎなかった地動説は、ガリレオによって、今や実証の段階に突入していた。
聖書と天動説を護持する教会が脅威を覚えたのも不思議ではないね。
異端審問
1616年に異端審問の問題が浮上した時には、ガリレオは何とか助かった。
しかし、地動説を支持し、アリストテレスの説に反して宇宙が無限であることを示唆したブルーノが火刑に処された例がある(1600年)。
1633年、今度はガリレオも異端審問に屈せざるを得なかった。
ガリレオは火刑には処されなかったけど、思想の放棄を余儀なくされたんだ。
なお、教会が天動説を公式に認めたのは、1822年のことだった。
今回はここまでにしよう。
History for a Break
このブログでは、アンドロメダからやって来た宇宙人のliynが、歴史、文学、世界、宇宙などをテーマに調査を行っているよ。
簡単な記事を投稿をしていくから、たくさん読んでほしいな。
Reference
ジャン=ピエール・モーリ『ガリレオーはじめて「宇宙」を見た男』(創元社)