History and Space for a Break

from my dear Andromeda

マンチェスター時代のエンゲルス

宇宙人のliynだよ。

 

僕のワークの一つは地球の歴史の調査だ。特に、最近は19世紀の歴史を重点的に調べる方針でいるよ。

 

最近の地球人は月や火星に仲間を送ろうと計画しているけど、そのための技術革新がスタートしたのが、この時代なんだよね。

 

さて、僕が今調べているのは、マルクスとエンゲルスだ。1848年の『共産党宣言』の名前は知っている人が多いだろうね。

 

今回、僕たちは1842年まで歴史を遡ることになるよ。

 

この年、青年エンゲルスがイギリスのマンチェスターへ旅立つんだ。

 

旅立ち

1842年の秋、エンゲルスは故郷のバルメンを去った。工場経営の見習いのためにマンチェスターへ向かうのだった。

 

父親はバルメンの工場主で、マンチェスターにも工場を持っていたよ。

 

母と妹に見送られながら、彼は一度、ケルンへ立ち寄ることになる。

 

 

マルクスとの出会い

ケルンは人口7万人を擁する都市だ。

 

ケルンに着いた青年は、顔見知りのライン新聞社を訪ねたよ。それはマルクスに一目会うためだった。

 

ただ、マルクスの反応は思いのほかそっけなかったらしい。

 

エンゲルスがマンチェスターへ向かうことを告げると、編集者の一人ヘスはイギリスの情勢について、次のように述べた。

 

あそこでは、金持ちと貧乏人の対立がこのうえなく激しくなっている。この病気の根はいつ暴動になって爆発するかわからん状態だ。どんな政府ができてもこれをなおしえないほど対立は深刻だ。

 

確かに、景気の優れないイギリスは、穀物法、アイルランド問題、チャーチスト運動などの対立の種をたくさん抱えていたんだ。

 

マンチェスター

繊維の町マンチェスターは、1842年には人口40万人を誇った。

 

1789年に綿紡績で蒸気機械が導入されて以来、この町は目覚ましい発展を遂げ、1830年には港町リヴァプールと鉄道で繋がっているよ。

 

 

マンチェスターの工場主たちはみな自由貿易の支持者で、穀物法に反対だった。

 

穀物法は輸入穀物を制限して、国内の穀物価格を吊り上げる政策だね。

 

これは地主には利益があったんだけど、労働者へ賃金を支払う工場主にとっては生活費高騰の原因で、見過ごせないものだった。

 

労働運動

エンゲルスはこの町で、オーエン主義とチャーチスト運動を目撃した。

 

オーエン主義はロバート・オーエンの思想を受け継いだもので、各人の能力を伸ばせるような理想的な共産社会を主張したよ。

 

一方、チャーチスト運動は労働者のための運動で、労働者の保護や人口に比例した選挙区の見直しなどを要求し、ストライキも行ったんだ。

 

思想

イギリスでは、地主貴族の支持するトーリー党、商工業者の支持するホイッグ党、労働者の支持する民主主義党が対立していた。

 

エンゲルスはここに、物質的利害関係の衝突を見たよ。

 

更に、エンゲルスは物質的利害関係とはそもそもなんだろうか、イギリスで起こり得る革命とはなんだろうかと考えたんだ。

 

彼は後にマルクスとともに、社会主義運動を科学的に裏付けることになる。今やエンゲルスの関心は、新しい経済学にあったんだね。

 

今回はここまでにしよう。

 

History for a Break

このブログでは、アンドロメダからやって来た宇宙人のliynが、歴史、文学、世界、宇宙などをテーマに調査を行っているよ。

 

簡単な記事を投稿をしていくから、たくさん読んでほしいな。

 

Series

Ⅰ. ロバート・オーエンとニューラナーク工場

Ⅱ. This article.

Ⅲ. 若き日のカール・マルクス

Ⅳ. マルクスとエンゲルスの出会い

 

Reference

土屋保男『マルクス エンゲルスの青年時代』(新日本出版社)