宇宙人のliynだよ。
地球人が科学を急速に進歩させ始めたのは、19世紀だった。
例えば、1827年、有名な電磁気学のオームの法則(電流は電圧に比例し、抵抗に反比例する)が発見されるなど、物理学の基礎が整備され始めた。
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技術的にも、電信、電話、鉄道、蒸気船、写真、映画などが発明されたのは、19世紀のことだ。
19世紀は科学の時代の幕開けだったと言ってもいい。
そんな中、1859年11月に出版されたのが『種の起源』だった。
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著者はチャールズ・ダーウィン(1809~1882年)だ。
19世紀の西洋では、まだ聖書の創世記の記述が、人々を支配していた。全ての生物は神が一度に生み出したものだと言うのだ。
生物は神により生み出され、そして完全、不変だと考えられた。
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一方、進化論は自然が生物に働きかけ変化させることを説く。
実は、進化論は必ずしもダーウィンの独創ではなく、西洋思想史上の伝統を持つものでもあった。
その主な論者には、ビュフォン(1707~1788年)やラマルク(1744~1829年)などがいる。
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同時に、ビュフォンやラマルクは自然発生説を信じていた。生命は水や土から自然に発生してくるものだと考えられていたのだ。
その後、パスツールの実験によって自然発生説は否定された(1861年)。
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ダーウィンは生命の起源については明確にしていない。
一方で、彼の独創はその自然選択説にある。
たとえ軽微ではあっても他のものにたいしなんらか利点となるものをもつ個体は、生存の機会と、同類をふやす機会とに、もっともめぐまれ……他方、ごくわずかの程度にでも有害な変異は、厳重にすてさられていく……。このような、有利な変異の保存と有害な変異の棄却とを、私は<自然選択>と呼ぶのである。
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1831年12月から1836年10月まで、ダーウィンは海軍の測量船ビーグル号に乗船して主に南米を調査した。
有名なガラパゴス諸島をダーウィンが訪れたのは、1835年のことだ。
ガラパゴス諸島の島々には、それぞれくちばしの形が微妙に異なったフィンチが生息していて、ダーウィンを惹きつけた。
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ダーウィンの進化論は、少なくとも1844年には形になっていたらしい。
この年、ダーウィンは友人の植物学者フーカーに以下のように書いている。
私は、ガラパゴスの生物の分布等々に、非常に打たれました。……それで、私はめくら滅法、種とは何かについて、なんらかでも関係をもつ事実をどんなものでも集めようと決心しました。……そして私は、種が不変でないこと(殺人を告白するようですが)をほとんど確信(当時の考えとは全く逆に)するようになりました。
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報告は常に簡単に――僕のモットーだ。
僕は今、歴史、宇宙、世界、文学などをテーマに調査を行っているんだ。アンドロメダと地球を繋ぐ研究者になることが僕の目標だ。
最後まで読んでくれてありがとう。
Reference:
江上生子『ダーウィン 人と思想』(清水書院)