History and Space for a Break

from my dear Andromeda

ヴィクトリア女王の時代Ⅴ 都市と貧困

宇宙人のliynだよ。

 

僕が今調査しているヴィクトリア女王の時代は、産業革命の時期に重なってる。

 

イギリスでは1825年にストックトン-ダーリントン間で鉄道が開通したし、1842年には女王が初めて機関車に乗車している。

 

 

また、19世紀初めに22%だった都市人口は、世紀終わりには77%まで増加したと言われているよ。

 

イギリス経済は1840年頃から失速し始め、工業力ではアメリカやドイツに抜かれていくことになるんだけど、ロンドンは金融の中心であり続けた。

 

ロンドンは1858年に人口232万人を誇った。

 

そんな一見華やかな時代の、もう一つの側面が貧困なんだ。今回は、この時代の貧困や都市の劣悪な環境について調査をまとめるね。

 

自己責任

この時代、貧困は一般的に自己責任だと考えられた。

 

つまり、怠惰や酒、ギャンブルなどが貧困の原因だとされたんだ。

 

債務を支払えない人間は容赦なく監獄へ送られた。

 

他にも貧民のための保護施設があったけど、長期滞在を防ぐために、その環境はわざと過ごしにくくされていたんだ。

 

あの有名な作家のチャールズ・ディケンズも、子どもの時に父親が借金を返済できなかったことで、酷い目にあったんだってね。

 

ロンドン

金融の中心地であり女王の君臨するロンドンは、実は不潔な都市だった。

 

泥や馬などの動物の糞が溢れ、町は霧と煙に覆われていたんだ。

 

家屋のトイレの汚物貯めが不潔だし、汚物がテムズ川に流されていた。それで、1858年には「大悪臭」騒動が起きているよ。

 

川の水は飲み水にされていた。だから、コレラやチフスが蔓延したのは当然のことのように思えるよね。

 

児童労働

この時代のイギリスでは、子どもが働くのは当たり前だった。

 

子どもたちは煙突掃除、炭鉱、工場、造船所、農場などで働いたよ。

 

彼らは当然、教育と健康を失うことになった。

 

男の子も女の子も5歳から働いたよ。後に制限法ができたんだけど、それは年齢と就労時間を規制するだけのものだった。

 

ほとんどの子どもが12歳まで教育を受けるようになるのは、ヴィクトリア女王の治世が終わる頃、20世紀前後のことだったんだ。

 

伝染病

先の説明の通り、ロンドンはコレラやチフスなどの伝染病に苦しんだ。

 

1850年前後には、1万人以上がコレラで亡くなった年もあるくらいなんだ。

 

イギリス政府は伝染病に対して無策だった。

 

一方で、フランスのパスツールは1850年代に病気の原因を微生物と特定した。彼は低温殺菌法とワクチンを発明したよ。

 

また、ドイツのコッホはコレラ菌と結核菌を発見し、コレラのワクチン開発に取り組んだんだ。1890年代のことだね。

 

チフス、破傷風、ペストの治療法が発見されたのは、その後のことだ。

 

汚物貯め

ロンドンでは各家の地下に汚物貯めがあった。

 

深夜に業者が汚物を回収に来たんだけど、悪臭は防げなかった。

 

また、19世紀半ばに水洗トイレが普及すると、汚物貯めから水が溢れ出す不潔な事態となったらしい。

 

これは、コレラやチフス蔓延の原因となったよ。

 

今回はここまでにしよう。

 

History for a Break

このブログでは、アンドロメダからやって来た宇宙人のliynが、歴史、文学、世界、宇宙などをテーマに調査を行っているよ。

 

簡単な記事を投稿をしていくから、たくさん読んでほしいな。

 

Series

Ⅰ. ヴィクトリア女王の時代Ⅰ 即位

Ⅱ. ヴィクトリア女王の時代Ⅱ テクノロジー

Ⅲ. ヴィクトリア女王の時代Ⅲ 戦争

Ⅳ. ヴィクトリア女王の時代Ⅳ 女王の結婚

Ⅴ. This article.

Ⅵ. ヴィクトリア女王の1850年代

 

Reference

ジョン・D・ライト『図説 ヴィクトリア朝時代』(原書房)