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from my dear Andromeda

芥川龍之介「羅生門」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「羅生門」は、1915年、『帝国文学』誌上で発表されました。

しかし、作者の自信にも関わらず、この作品は発表時、ほとんど反響を得ることができませんでした。

芥川が文壇デヴューを果たすのは、翌年、「鼻」が師である夏目漱石に激賞されて以後のことになります。

以下、詳細なあらすじと、作品の補足(あるいはノート)です。

 

 

(1)あらすじ

ある日の暮方、一人の下人が、羅生門の下で雨が止むのを待っていた。

この二、三年、京都には、地震とか、辻風とか、火事とか、飢饉とかいう災いが続けて起こった。洛中のさびれ方は一通りではない。

荒れ果てた羅生門には、狐狸が棲み、盗人が棲み、しまいには、引き取り手のない死人を棄てて行くという習慣さえできた。

今や、羅生門には誰も近づかない。それで、四、五日前に主人に暇を出された下人は、右の頬の大きなにきびを気にしながら、一人、ぼんやりと雨が降るのを眺めていた。

明日の暮らし――下人はどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめのない考えを辿っていた。

どうにもならない事を、どうにかする為には、手段を選んではいられない。ということは、盗人になるより他に仕方がない。しかし、それを積極的に肯定するだけの勇気は出ずにいた。

下人は大きなくしゃみをした。そして、億劫そうに立ち上がると、京の夕冷えを避けるため、ちょうど目についた梯子に足をかけて、どうせ死人ばかりであろう、門の上の楼へ昇って行った。

しばらく後、梯子の中段で、下人は息を殺していた。というのも、死人ばかりのはずの楼の上で、誰かが火をともしていたからである。

恐る恐る覗いてみると、楼の内には、幾つかの死骸が無造作に、土をこねて造った人形の如く、ごろごろと床の上に転がっていた。

下人は腐乱した臭気に思わず鼻を覆ったが、次の瞬間には、ある強い感情が、彼の嗅覚をほとんど奪ってしまった。

背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆が、死骸の中に蹲っていた。下人が息をするのも忘れて見ていると、老婆は、松の灯りを頼りに、死骸の長い髪の毛を一本ずつ抜き始めた。

下人の心から、次第に恐怖が消えていった。代わりに、憎悪が、あらゆる悪に対する反感が、徐々に強さを増していった。

下人は、いきなり、梯子から楼へ飛び上がった。それから、慌てふためいて逃げようとする老婆をねじ倒すと、下人は太刀の白い鋼を老婆の前へ突きつけて、何をしていたのかと問うた。

この髪を抜いてな、かつらにしようと思うたのじゃ――鴉の鳴くような声で、老婆は喘ぎ喘ぎ、言った。

下人は老婆の答えが存外平凡なことに失望した。すると、また先の憎悪が、冷やかな侮蔑と共に戻ってきた。その気配が老婆にも通じたのであろう、老婆は口ごもりながら、今度はこんな事を言った。

――じゃが、ここにいる死人どもは、皆、この位の事は、されてもいい人間ばかりだぞよ。とはいえ、わしは――この女のした事を、悪いとも思うていぬ。せねば、餓死をするじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今わしがしている事も、せねば餓死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。

下人は冷然と老婆の話を聞いていた。が、その内に、下人の心にはある勇気が生まれてきた。下人はもはや、餓死をするか盗人になるかに、全然迷わなかった。

――なら、俺が引剥(ひはぎ)をしようと恨むまいな。俺もそうしなければ、餓死をする体なのだ。

下人はすばやく老婆の着物を剥ぎ取り、老婆を死骸の上へ蹴倒すと、着物を脇に抱えて、瞬く間に梯子を下って行った。

間もなく、裸の体を起こした老婆が、梯子の口まで這って行くと、外には、ただ、黒洞々(こくとうとう)たる夜があるばかりであった。

下人の行方は、誰も知らない。

 

(2)ノートA(事実関係)

①反響

1915年11月、芥川は「羅生門」を、東京帝国大学文学部の『帝国文学』誌上で発表しました(当時、芥川は英文科に在学中)。

主な典拠は『今昔物語集』ですが、素材を古典に求めつつ、近代人の心理を巧みに描いた作品となっています。

しかし、「羅生門」はその完成度の高さにも関わらず、発表当時はほとんど反響を得ることが出来ませんでした。

「ひよつとこ」も「羅生門」も『帝国文学』で発表した。勿論両方共誰の注目も惹かなかつた。完全に黙殺された。(「小説を書き出したのは友人の煽動に負う所が多い」/1919年)

更に言えば、「羅生門」は黙殺されたどころか、友人たちには揃って不評だったらしいことが、芥川自身によって回想されています。

「羅生門」も、当時帝国文学の編輯者だった青木健作氏の好意で、やつと活字になる事が出来たが、六号批評にさへ上らなかつた。のみならず久米も松岡も成瀬も口を揃へて悪く云つた。(「あの頃の自分の事」/1919年)

しかし、作者自身は「羅生門」を、これまで書いた中で一番の作品と信じ、友人成瀬に対して、英語で反論の文章を書いて、自信を示しました。

 

芥川龍之介「ひょっとこ」 あらすじ/ノート - History for a Break

 

②失恋事件

遡って、同年の早春、芥川は当時交際していた才色兼備の女性・吉田弥生との結婚の希望を、家族に対して初めて示しました。

しかし、理由は諸説あり定かではありませんが、芥川はこの問題で、芥川を幼少時から養育してきた伯母をはじめ、家族の猛反対にあいました。

伯母は夜通し泣いて反対し、芥川もまた、夜通し泣いて結婚を懇願しましたが、結局は芥川が折れて諦めることになります。

このことで、芥川は深い挫折感を味わい、<家>の束縛の問題と、自他のエゴイズムの醜さを思い知らされました。

一時は吉原遊郭に慰めを求めた芥川の傷を癒したのは、第一高等学校時代からの親友・恒藤恭(つねとう きょう)でした。

同年8月、芥川は恒藤の誘いで島根へ行き、宍道湖や寺院を見学したり、出雲大社を参詣したりしました。

有力な説では、「羅生門」は島根訪問で活力を取り戻した芥川が、帰京して直後の9月中に、書き上げられたものと考えられています。

 

③「義仲論」

芥川は小学校時代から、仲間たちと回覧雑誌を作り、そこに小説などを投稿していましたが、中学校卒業前に書いたものに、「義仲論」という作品があります。

この作品では、木曾の山中に育ち、三十一歳で敗死した木曾義仲に、芥川は人間としての理想を見ています。

彼は其炎々たる革命的精神と不屈不絆(ふはん)の野生とを以て、個性の自由を求め、新時代の光明を求め、人生に与ふるに新なる意義と新なる光栄とを以てしたり。(…)彼の生涯は男らしき生涯也。(1910年)

野生(また、それ故の純真)と自由とは、芥川が生涯理想としたものと言えます。

これに関連する言葉として、未発表の晩年の作「紫山」の中の、主人公保吉の台詞を挙げることができます。

幸ひにも純一無雑に江戸つ児の血ばかり受けた訣ではない。一半は維新の革命に参した長州人の血もまじつてゐる。

芥川は江戸趣味の濃い養家芥川家で育ちましたが、長州藩の御楯(みたて)隊士として幕府軍と戦った実父の逞しさに、密かな誇りを感じていたのです。

倫理的に解放された下人の姿に力強い自由を読むならば、ここには「義仲論」で示された理想が表現されていると、解釈することも可能と思われます。

 

④結論部

実は、「羅生門」の結論部、「下人の行方は、誰も知らない」の一文は、発表時には以下のようになっていました。

下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつゝあった。

この一文は、後に改稿されて、現在知られている形となりました。現在の結論は、より読者の想像の余地を残した形となっていると言えます。

 

(3)ノートB(個人的解釈)

ここからは、「羅生門」に対する、私の個人的解釈を記します(直観的に読んでいるだけなので、資料的な裏付けはありません)。

私は下人の直面した倫理的(道徳的)問題について、それを、外的な倫理と内的な倫理の問題とに整理して考えます。

外的な倫理とは、法や社会的制裁を指します。人は罰を恐れるが故に、規範からの逸脱を躊躇うのです。

一方、内的な倫理とは、各人に内面化された倫理を指します。この場合、人は単純に自己の倫理基準に抵触することを嫌うと考えることができます。

しかし、私の個人的感覚で言えば、内的な倫理からの逸脱には、何か「後戻りができない」といった感触が伴うものです。

その感触は、精神的な「下降」や「後退」、「下落」を意味していると言えます。

羅生門の石段にぼんやりと腰をかけていた下人は、内的な倫理のレベルで問題を捉えていたと、私は考えています。

そして、下人はこの問題を、実際には深刻に考えていなかったと思います。内的な倫理には抵触できないという結論が、考えるまでもなく、下人にはすでに見えているからです。

一方で、下人が最終的に、老婆の着物を剥ぎ、盗人となって消えた心理は、実は平凡な現象の一つであると言えるかもしれません。

内的な倫理というものは、誰に強制されたものでもありません。そのため、他人の行動を見たり、あるいは状況次第で、「そんなものか」と思ってしまえば、しぼんで消えてしまいます。

下人は老婆の長々しい言い訳を聞かされて、「そんなものか」と納得してしまったのだと思います。

私の解釈で言うと、先述した「義仲論」を参考にした、下人の解放と力強い自由の獲得というようには、「羅生門」は読めません(個人的感想です)。

黒洞々たる夜――その闇には、下人が盗人であろうが何であろうが、そこにはごく平凡な世間の無秩序があるに過ぎない、という冷めた眼を感じることができます。

とは言え、下人が内的な倫理という感覚を永久に失うことはないでしょう。

というのも、本当の意味で、精神的な下落を経験することは、それほど簡単なことではないと、私は考えるからです。

芥川を例に挙げて申し訳ないですが、彼は先述の失恋問題にやられて、一時、吉原遊郭に慰めを求めたと言います。

こういうことを非難する人間は山のようにいるでしょうが、そういう外部の声と、芥川の精神に生きている純なる声とは、何の関係もないことです。

すると、闇に消えた下人はまだ、雨止みを待っていた時の自分と同じ場所を回転している、と考えることも可能でしょう。

そして、下人にとって問題であるのは、善とか悪とかではなくて、ただ彼の精神のみだろうと思います。

 

(4)参考文献

芥川龍之介「羅生門」『羅生門・鼻』(新潮文庫)

関口安義『芥川龍之介』(新潮文庫)

 

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