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from my dear Andromeda

芥川龍之介「MENSURA ZOILI」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「MENSURA ZOILI(メンスラ ゾイリ)」が発表されたのは、1917年のことです。

タイトルはラテン語で「ゾイリア国の物差し」という意味です。

芥川は前年、「鼻」が師である夏目漱石に激賞されたことで、「芋粥」や「手巾(ハンケチ)」の発表の場を得、文壇デビューを果たしました。

一般的には、芥川の文壇デビューは颯爽たるものとイメージされていますが、実際には、芥川は既存の文壇の無理解と批判に晒されもしました。

この作品は、その批判への反論として発表されたもので、芥川の生涯を通覧する上で興味深い作品と言えます。

以下、詳細なあらすじと、作品の補足(あるいはノート)です。

 

 

(1)あらすじ

僕は、船のサルーンの真ん中に――船のサルーンと言うのも、実は、それほど確かではないのであるが――テーブルを隔てて、妙な男と向かい合っている。

窓の外を見ると、空は灰色の雲が覆っている。海は煮え切らない緑青色をどこまでも広げ、海上にふわふわと飛んでいるのは、カモメか何かであろう。

その妙な男は、度の強そうな近眼鏡をかけて、退屈そうに新聞を読んでいる。僕はどこかで見た事のあるような男だと思うのだが、思い出せない。

僕も退屈していた所だから、話しかけたいのは山々なのであるが、男があまり不愛想に見えたので、躊躇していた。

すると、男は足をうんと踏み伸ばしながら、あくびを嚙み潰すような声で、「ああ、退屈だ」と言った。

――どうです。一杯お付き合いになりませんか。

僕の誘いに、男は飲むとも飲まないとも答えなかったが、僕と男は、船旅が至極退屈である点で一致した。ゾイリアに着く頃には、きっと退屈で死んでしまっているだろうと、男は言う。

しかし、僕はゾイリアを知らなかった。

男が言うには、ゾイリア共和国は古くからの文明国で、特に首都にあるゾイリア大学は世界一流だそうだ。最近では、その教授連が考案した、価値測定器なるものが評判であるらしい。

価値測定器とは、文字通り、絵や小説の価値を測定するのに使用される。見た目も使い方も、人が乗るものと変わらない。教授連はこれを、MENSURA ZOILI(メンスラ ゾイリ)と名付けた。

ゾイリアは価値測定器を税関に設けて、無価値な輸入品を禁輸するために使用しているのだと言う。これで、作品の価値は明確に数値化されるわけだから、作家の立場は推して知るべしであろう。

事実、ちょうどボーイが持ってきたゾイリア日報なる新聞の中にある、一覧表と評説によれば、僕の友人・久米の作品の評価などは、以下の如くである。

――作品の動機が人生のくだらぬ発見に過ぎず、早く大人ぶって通のふりをしているようなトーンが、作品全体を卑しいものにしている。

僕の「煙管(きせる)」もまた、散々だった。曰く、「常識以外に何もない」、「この作者早くも濫作をなすか」。僕は不快を通り越して、少し馬鹿々々しくなった。

一方、ゾイリアの絵や小説を価値測定器にかけることは法律で禁止されている。その理由は判然としない。何でも、国民が承知しないのだそうだ。

そこへ、突然船に、大きな揺れが起こった。転がり落ちた男はたちまち、テーブルやら、酒瓶やら、新聞やらの下敷きになった。

きっと衝突か、海底火山の噴火か――

目が覚めると、僕は、書斎のロッキング・チェアに腰をかけていた。あの妙な男は一体誰だっただろう。久米のような気もするし、そうでない気もする。これは、未だに分からないままである。

 

(2)ノート

①文壇デビュー

遡って、芥川が「羅生門」を発表したのは、1915年のことです。当時、芥川は東京帝国大学文学部英文科に在籍していました。

しかし、意外なことに、「羅生門」は発表当初、ほとんど反響を得ることができませんでした。

転機となったのは、翌1916年に発表した「鼻」が、師である夏目漱石の激賞を受けたことです。

これをきっかけに、芥川は鈴木三重吉の『新小説』と、新人作家の登竜門『中央公論』からの執筆依頼を得、前者で「芋粥」を、後者で「手巾」を発表しました。

芥川は『中央公論』の「手巾」で、総じて好評を得ました。この頃の芥川自身の言葉として、以下の書簡が残されています。

この頃僕も文壇へ入籍届だけは出せました。まだ海のものとも山のものとも自分ながらわかりません。(原善一郎宛て書簡/1916年)

 

②批判

1916年10月に発表された「手巾」の好評は、実は漱石門下の仲間内のものだったと見ることもできるようです。

颯爽と文壇デビューを果たしたと思われがちな芥川ですが、早くも翌月から、既存の自然主義文壇より、様々な批判を受けることになります。

この作物は決して上出来だとは思はない。主人公の性格が少しもなつて居ない。そしてまた生徒の死を聞いた時の、しかもその亡人の母の前での態度なぞは、あまりに愚な程である。(斬馬生「十月の文壇」『帝国文学』/1916年)

かういふ作の面白味は私にはわからない。何処が面白いのかといふ気がする。この前の『芋粥』でも何に意味を感じて作者が書いてゐるのか少しもわからなかった。(田山花袋「一枚板の机上―十月の創作其他」『文章世界』/1916年)

また、作中にも登場する「煙管」(1916年11月)もまた、当時新進の評論家であった広津和郎から、以下のような批判を受けました。

(この作品は)唯何か或る興味を人生から発見して、それを話上手に語つてゐるに過ぎない。常識と常識から来る利口と器用な手との持主だと云ふに過ぎない。

更に、『万朝報(よろずちょうほう)』に載った批評では、「煙管」は「作者独特の材料ではあるけれども、特殊な批判も背景も無い平々坦々たる物、作者早くも濫作をやるか」と評価されました。

以上から、作中に見られる「常識」や「濫作」という言葉は、芥川が実際に受けた批判をそのまま取り入れたものだと分かります。

芥川は「MENSURA ZOILI」と同じ月に、「運」や「尾形了斎覚え書」という作品も発表していますが、これらもまた、様々な批判の対象となりました。

当時、すでに東京帝国大学を卒業し、横須賀の海軍機関学校の嘱託教授(英語を担当)となっていた芥川は、友人宛ての書簡の中で、以下のような、心細い言葉を残しています。

それから今後新聞雑誌の文芸批評は一切縁を切つて読まない事にするつもりだ あれを読んで幾分でも影響をうけないには余りに僕は弱すぎるから。さうして少しずつでもしつかり進むつもりだ(松岡譲宛て書簡/1917年)

 

(3)参考図書

芥川龍之介「MENSURA ZOILI」『芥川龍之介全集 第一巻』(岩波書店)

関口安義『芥川龍之介』(岩波新書)

関口安義『芥川龍之介 闘いの生涯』(毎日新聞社)

 

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