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from my dear Andromeda

芥川龍之介「芋粥」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「芋粥」は、1916年9月に発表されました。

この作品は、鈴木三重吉の『新小説』誌上に掲載されました。回覧雑誌や同人雑誌ではない一流雑誌に載った作品としては、初めてのものです。

掲載のきっかけは、同年2月の第四次『新思潮』に載った「鼻」が、師である夏目漱石に激賞されたことでした。

これによって、芥川は「芋粥」と「手巾(ハンケチ)」を発表する機会を得、文壇デビューを果たすことができました。

以下、詳細なあらすじと、作品の補足(あるいはノート)です。

 

(1)あらすじ

平安のいつ頃だったろうか、その頃、摂政藤原基経に仕えている侍の中に、名前の伝わらない五位の男がいた。

五位は風采の上がらない四十過ぎの男で、見た目も着る物もだらしなく、侍所にいる者たちは当然、上役から下役まで、この男を侮っている。

ところが、五位はたとえ、どんな理不尽な侮りを受けたとしても、決して腹を立てたことがないほどに、意気地のない、臆病な人間であった。

そんな五位にも、以前より持っている希望が一つだけあった。いつか、芋粥を飽きるほど飲んでみたいという欲望である。

しかし、この五位の小さな希望は、案外容易に達せられることになった。

ある年の正月二日、基経の邸で行われた「臨時の客」で、五位は少しの芋粥を口にすることができた。その時、五位は気が付くと、「いつになれば、芋粥を飽きるほど飲めるだろうか」と呟いていた。

これを笑ったのが、武人然とした、大柄の侍・藤原利仁である。利仁は、もし望むならば、自分が芋粥をご馳走しようではないか、と申し出た。五位はしばらくの間狼狽したが、最後には、その申し出を受け入れたのであった。

その四、五日後、五位は利仁と馬を並べて街道を進んでいた。二人は粟田口を過ぎて、山科を行き、大津の三井寺までも過ぎていった。そこで、五位は初めて、利仁が彼を、敦賀の邸まで連れていこうとしていることを知った。

道中、利仁は一匹の狐を捕まえて、邸から家来を遣わすよう命じた。すると、翌朝本当に、家来たちは高島辺りまで二人を迎えに来るのであった。

その夜、暖かい寝床の中でまじまじしていた五位は、どうしてか、明日芋粥を食うということが嫌なような気がしていた。

翌朝、五位の前には、芋粥が一杯に入った提(ひさげ)が並べられていた。食べる前から満腹を感じていた五位は、少し食べると、しどろもどろになって、もう十分だと言って逃れようとした。

五位を救ったのは、あの、昨日の狐であった。芋粥を馳走に預かりにやって来たらしい狐に人々の注意が移ると、五位はやっと解放された。五位は安心と共に、満面の汗が乾いていくのを感じた。

冷たい風が五位の肌を撫でた。すると、五位は慌てて、鼻を押さえると同時に、提に向かって、大きなくしゃみをした。

 

(2)ノートA(事実関係)

少し遡って、1915年11月、東京帝国大学文学部英文科に在学中の芥川は、同文学部の『帝国文学』誌上に「羅生門」を発表しました。

しかし、作者の自信に反して、「羅生門」は発表当時、ほとんど反響を得ることができませんでした。

芥川の転機となったのは、翌1916年2月、第四次『新思潮』に発表した「鼻」が、師の夏目漱石の激賞を受けたことでした。

 

芥川龍之介「羅生門」 あらすじ/ノート - History for a Break

芥川龍之介「鼻」 あらすじ/ノート - History for a Break

 

これをきっかけとして、芥川は鈴木三重吉の『新小説』と、新人作家の登竜門『中央公論』誌上に、それぞれ、「芋粥」(9月)と「手巾」(10月)を発表する機会を得ることができました。

芥川が文壇デビューを果たしたのは、これらの二作によってでした。この頃の芥川の言葉としては、以下の書簡が残されています。

この頃僕も文壇へ入籍届だけは出せました まだ海のものとも山のものとも自分ながらわかりません。(原善一郎宛て書簡/1916年10月)

 

芥川龍之介「手巾」 あらすじ/ノート - History for a Break

 

今回の「芋粥」は、回覧雑誌や同人雑誌ではなく、初めて『新小説』という一流雑誌に掲載されたものでした。

作品は師の夏目漱石に概ね好意的に評価され、芥川はまず安心できました。

なお、この作品の典拠は、主に『今昔物語集』と『宇治拾遺物語』です。以下の引用は「鼻」発表時に併せて掲載されたものですが、古典に材を取ることへの、作者の立場をよく教えてくれます。

僕はこれからも今月と同じやうな材料を使つて創作するつもりでゐる。あれを単なる歴史小説の仲間入をさせられてはたまらない。(「編輯後に」/1916年)

なお、一般的に、芥川の文壇デヴューは華々しく、颯爽としたものであったとイメージされることが多いです。

例えば、『東京日日新聞』に載った、江口渙(かん)の「芥川君の作品」には、「数多い新進作家の中で芥川龍之介君位鮮やかに頭角を露はした者はない」の一文が見えます(1917年)。

その一方で、芥川は「手巾」(1916年10月)以降、既存の自然主義文壇の無理解と批判にも晒されることになりました。

それに対する反論として書かれたのが、翌1917年1月の「MENSURA ZOILI(メンスラ ゾイリ)」でした。

この作品では、作者は他国の絵や小説の価値を数値で表すゾイリア国の価値測定器の馬鹿々々しさを通して、既存の文壇を揶揄しています。

 

芥川龍之介「MENSURA ZOILI」 あらすじ/ノート - History for a Break

 

(3)ノートB(個人的解釈)

ここからは、作品の個人的な解釈をごく簡単に記します(直観的に読んでいるだけなので、資料的な裏付けはありません)。

この作品において、読者が解釈上疑問に思うのは、五位はなぜ最後になって、芋粥を食べることが嫌になったのか、ということだと思います。

これに関して、最も参考になるのは以下の箇所ではないかと、私は考えます。

五位は、芋粥を飲んでいる狐を眺めながら、此処へ来ない前の彼自身を、なつかしく、心の中でふり返った。それは、多くの侍たちに愚弄されている彼である。(…)しかし、同時に又、芋粥に飽きたいと云う欲望を、唯一人大事に守っていた、幸福な彼である。

同じ箇所には、「憐む可き、孤独な彼」という言葉も見られます。すると、五位の心理を理解するためには、彼が四十過ぎまで守ってきた、その「孤独」の形について考えてみる必要がありそうです。

さて、冒頭部分で、いくら侮られても腹を立てない五位を、作者は意気地なしで臆病と言っていますが、これは男らしさの欠如であると言っていいでしょう。

一方で、たくさんの家来を使い、五位に芋粥を食べさせてやる利仁は、男らしさを体現したかのような人物であると言えます。

その点に関してですが、敦賀へ向かう道中、狐さえも使役する利仁の男らしさに圧倒されている五位に対して、作者は以下の説明を加えています。

(五位は)唯、利仁の意志に、支配される範囲が広いだけに、その意志の中に包容される自分の意志も、それだけ自由が利くようになった事を、心強く感じるだけである。

作者はこれを、よくある阿諛の形と言っていますが、要するに、五位は利仁に影響されて、一時的に男らしさの方へ引っ張られていたのだと言えるでしょう。

しかし、五位はその勢いで芋粥をかき込むのではなく、それを辞退しました。五位は恐らく、ここで、男らしさの方へ一歩踏み出すための、ある種の儀式を直前で拒否しているのです。

その理由は、もちろん一つには、五位が意気地なしで臆病だったから、と考えられるでしょう。しかし、私は更なる説明として、それは、彼があまりにも「孤独」に慣れていたためだ、という解釈を挙げてみたいと思います。

孤独は必ずしも精神力の不足を意味するものではないと、私は考えます。ここで、私の言う精神力というのは、単純な心的なエネルギーのことです。

この作品で、五位の精神力の源を成すものとされているのが、芋粥を飽きるほど飲んでみたいという、彼の欲望でした。

人に侮られ、小さな願望だけを希望としている――そう言うと、五位はどこまでも弱い人間に思われますが、その「孤独」の状態は、恐らく、五位にとってはそう低い状態ではなかったと、私は思います。

もちろん、この作品は、一方では、新しい一歩を踏み出すことのできなかった、意気地なしで臆病な五位を描いたものと言えるでしょう。

しかし、他方では、芋粥と結びついた「孤独」という条件の下、五位の生活は十分に成り立っているのだから、そのような通過儀礼めいたことは、別に必要ではなかったとも考えられます。

作者もまた、以前の五位に対して、「芋粥に飽きたいと云う欲望を、唯一人大事に守っていた、幸福な彼」という説明を与えています。

私たちの生活は、外面的な部分だけでなく、心的な部分でも心地よく整っていなければ、安心や幸福を得ることができません。

五位の心的な生活、すなわち彼の「孤独」は、非常に微妙な形で、ある安定を保っていたに違いなく、それが決して低い状態でないとすれば、彼が芋粥を拒んだことに対しても、読者は一定の理解を得ることができるのではないでしょうか。

 

(4)参考図書

芥川龍之介「芋粥」『羅生門・鼻』(新潮文庫)

芥川龍之介「編輯後に」『芥川龍之介全集 第一巻』(岩波新書)

関口安義『芥川龍之介』(岩波新書)

 

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