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芥川龍之介「文学好きの家庭から」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「文学好きの家庭から」は、1918年に発表されたものです。

この年、芥川は海軍機関学校の英語教師を務めながら、「地獄変」(5月)、「蜘蛛の糸」(7月)、「奉教人の死」(9月)、「枯野抄」(10月)などの、初期の傑作を世に送り出しています。

今回の作品は、簡潔な文章ながら、江戸趣味の濃い芥川家の環境が作者に与えた影響を想像させてくれる、興味深い作品と言えます。

以下、詳細なあらすじと、作品の補足(あるいはノート)です。

 

 

(1)あらすじ

私の家は代々、御奥坊主の家柄でした。父には、一中節、囲碁、盆栽、俳句などの道楽があります。母は細木香以(さいきこうい)の姪です。

家には他に伯母がいて、特に私の面倒を見てくれました。

伯母は、顔も一番私に似ていますし、心情の上でも、私と最も多く共通点を持っています。伯母がいなければ、今日の私があるものか分かりません。

私が文学をやることは、家の誰も反対しませんでした。父母も伯母も、かなりの文学好きだからです。

小さい時から、芝居や小説を見ました。先代の団十郎、菊五郎、秀調などの記憶もあります。

私が初めて芝居を見たのは、おそらく、二つか三つ位の時です。何でも、団十郎が斎藤内蔵之助(くらのすけ)をやった時だそうです。

最初の小説らしい小説は、泉鏡花の「化銀杏」(1896年)だったと思います。高等小学校の時には、「倭(やまと)文庫」や「妙々車(みょうみょうぐるま)」のようなものは卒業していました。

 

(2)ノート

①家庭環境

芥川龍之介は1892年、東京に生まれました。

作品の冒頭に「私の家は代々御奥坊主だったのですが」とありますが、これは養家芥川家のことです。

芥川の実父は牛乳販売業を営んだ新原(にいはら)敏三、実母はフクです。

しかし、芥川の生後八カ月頃、フクが精神に異常をきたしたため、芥川はフクの実家である芥川家に預けられました(正式な養子縁組は、芥川が12歳の時)。

養父は道章、養母は儔(とも)で、夫婦の間には子はいませんでした。芥川家は江戸趣味の濃い家庭で、一家揃って、文学、美術、演劇を好みました。

また、家には道章の妹フキもいて、生涯独身を貫いたこの伯母が、特に熱心に芥川の養育にあたりました。

 

②伯母の影響

幼い芥川に添い寝し、牛乳を与えて養育したのは、伯母フキでした。芥川も、この伯母には特別な愛情を感じていました。

フキは芥川を「龍ちゃん」と呼んで可愛がりましたが、決して甘やかさず、礼儀正しく育てました(交際した多くの人が、芥川の礼儀正しさを指摘しています)。

芥川の「追憶」(1926~27年)の中には、以下の文章があります。

僕は何かいたずらをすると、必ず伯母につかまっては足の小指に灸をすえられた。僕に最も恐ろしかったのは灸の熱さそれ自身よりも灸をすえられると云うことである。

また、フキは早い時期から、芥川に文字と数を教えました。

フキの教育で早くに文字を習得した芥川は、後年、あらゆる情報を書物から得るという習慣を持ち、また、非常な速読家であったと言います。

 

③文学

伯母フキは、遊びとして、芥川に本を読み聞かせたり、昔話や民話を語って聞かせたりしてあげたそうです。

また、芥川家は多くの草双紙類を所蔵しており、芥川は幼い時から、それらに親しんで育ちました。

僕の家の本箱には草双紙が一ぱいつまっていた。僕はもの心のついた頃からこれ等の草双紙を愛していた。殊に「西遊記」を翻案した「金毘羅利生記」を愛していた。(「追憶」)

それから、尋常小学校に入学すると、今度は貸本屋が、芥川に書物の面白さを教える役割を果たしました。

僕に文芸を教へたものは大学でもなければ図書館でもない。正にあの蕭條たる貸本屋である。僕は其処に並んでいた本から、恐らくは一生受用しても尽きることを知らぬ教訓を学んだ(「僻見」/1924年)

高等小学校の頃には、滝沢馬琴、十返舎一九、近松門左衛門らの江戸文学、泉鏡花、徳富蘆花、尾崎紅葉らの近代作家の作品を読みました。

この頃に関して、作中には、「小説らしい小説は、泉鏡花氏の『化銀杏』が始めだつたと思ひます」との一文が見えます。

また、「愛読書の印象」(1920年)によれば、芥川の子どもの頃の愛読書は、『西遊記』が第一、『水滸伝』がそれに続く作品であったようです。

 

④「追憶」から

最後に、何度か引用している「追憶」の中に、芥川幼少時の伯母と江戸文学の記憶を同時に知ることができる文章があるので、ご紹介致します。

僕はその頃も今のように体の弱い子供だった。殊に便秘しさえすれば、必ずひきつける子供だった。僕の記憶に残っているのは僕が最後にひきつけた九歳の時のことである。僕は熱もあったから、床の中に横たわったまま、伯母の髪を結うのを眺めていた。そのうちにいつかひきつけたと見え、寂しい海辺を歩いていた。その又海辺には人間よりも化物に近い女が一人、腰巻き一つになったなり、身投げをする為に合掌していた。それは「妙々車」と云う草双紙の中の挿画だったらしい。この夢うつつの中の景色だけは未だにはっきりと覚えている。正気になった時のことは覚えていない。

 

(3)参考図書

芥川竜之介『芥川竜之介随筆集』(岩波文庫)

関口安義『芥川龍之介』(岩波新書)

 

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