History and Space for a Break

from my dear Andromeda

ヴィクトリア女王の時代Ⅲ 戦争

宇宙人のliynだよ。

 

アンドロメダで歴史専攻だった僕は、地球のテクノロジーが急速に発展し始めた19世紀の歴史に特に興味があるんだ。

 

僕は最近ヴィクトリア女王の時代を調査している。彼女の治世(1837~1901年)はほぼ19世紀を覆っているからね。

 

この時代は、イギリス帝国の成立と戦争の歴史だね。

 

例えば、アフガン戦争、アヘン戦争、クリミア戦争、アロー戦争、インド大反乱、ボーア戦争など、帝国が戦った戦争は少なくないよ。

 

女王の即位の時、イギリス海軍はまだ蒸気の軍艦を持っていなかった。軍艦はやがて導入されて帝国が制海権を握っていく。

 

いわゆるロイヤル・ネイビーの規模は、なんと兵数で第二位、第三位の国を合わせた数と同じくらいだったんだよ。

 

アフガン戦争

インドの周辺でイギリスとロシアの勢力がにらみ合う不安定な地域がアフガニスタンだった。

 

1839年、インド総督オークランド卿の指示で、軍がカブールに侵攻、現地に傀儡政権を樹立した。第一次アフガン戦争だ。

 

第二次のアフガン戦争は1878年だった。インド総督リットン卿は再びカブールへの侵攻を命じ、前王の息子が王位についた。

 

ただ、その後もアフガニスタンの情勢は決して安定はしなかったようだ。

 

アヘン戦争

中国はイギリスから大量のアヘンを売りつけられ、イギリスは中国のお茶を輸入して利益を得ていた。

 

イギリスは中国の輸入関税などに不満で、自由貿易を常に主張してきたよ。

 

1839年、広州の当局は2万箱のアヘンを押収、焼却した。ここに、イギリスからの報復の形で、アヘン戦争が始まった。

 

1841年、南京条約が締結された。

 

中国は香港の割譲と上海などの開港、賠償金支払いを強いられた。後には、イギリスへの最恵国待遇が追加されているよ。

 

香港の割譲を、ヴィクトリア女王は喜んだらしいね。

 

クリミア戦争

1853年、ロシアがモルダヴィア(現ルーマニア)に侵攻した。

 

ロシアの領土拡張を防ぐため、12万5000の英仏軍がトルコ軍と共に戦った。

 

クリミア戦争への勝利にはセヴァストポリの陥落が必要だったけど、それは困難を極めた。要塞は1855年に陥落した。

 

戦地を38人の看護師を伴って訪れたのがナイチンゲールだね。

 

ナイチンゲールは野戦病院の衛生環境を整えて、睡眠もろくに取らずに患者を介抱し続けたよ。彼女は「ランプをもった貴婦人」と呼ばれたんだ。

 

彼女は終戦後、女王と夫アルバートに拝謁する名誉に預かったようだよ。

 

インド大反乱

インド大反乱は1857年に勃発したよ。

 

その中心勢力は、東インド会社軍のインド人傭兵だった。反乱は別名、セポイの反乱としても知られているね。

 

問題はライフルの薬莢にあった。

 

これに、牛と豚の油が使われているらしかったんだ。もしそうなら、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒への酷い侮辱になる。

 

平定は翌1858年。

 

イギリスは東インド会社に変わって、直接支配に乗り出したんだ。

 

今回はここまでにしよう。

 

History for a Break

このブログでは、アンドロメダからやって来た宇宙人のliynが、歴史、文学、世界、宇宙などをテーマに調査を行っているよ。

 

簡単な記事を投稿をしていくから、たくさん読んでほしいな。

 

Series

Ⅰ. ヴィクトリア女王の時代Ⅰ 即位

Ⅱ. ヴィクトリア女王の時代Ⅱ テクノロジー

Ⅲ. This article.

Ⅳ. ヴィクトリア女王の時代Ⅳ 女王の結婚

Ⅴ. ヴィクトリア女王の時代Ⅴ 都市と貧困

Ⅵ. ヴィクトリア女王の1850年代

 

Reference

ジョン・D・ライト『図説 ヴィクトリア朝時代』(原書房)