History for a Break

from my dear Andromeda

Akutagawa Ryunosuke

芥川龍之介「蜘蛛の糸」(『赤い鳥』創刊号 大正七年七月)

芥川龍之介(1892~1927年)の「蜘蛛の糸」は、『赤い鳥』創刊号(1918年7月)に掲載された、作者の童話作品の傑作の一つです。 鈴木三重吉は芥川と同じ漱石門下の先輩で、文壇デヴューを手引きしてくれた恩もあって、芥川は『赤い鳥』の創刊に協力したよう…

芥川龍之介「大川の水」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「大川の水」は、1914年に発表されました。 発表時、東京帝国大学文学部英文科の学生だった作者は、翌年、同文学部の『帝国文学』誌上に「羅生門」を発表しています。 芥川の生家は本所にあり、すぐ近くを大川(隅田川)が流れ…

芥川龍之介の生い立ち 作家の生涯

芥川龍之介(1892~1927年)と言えば「羅生門」が最も有名ですが、この作品が発表されたのは、1915年11月のことです。 しかし、作者の自信に反して、「羅生門」は発表当初には、ほとんど反響を得ることができませんでした。 芥川が新進作家として文壇に登場…

芥川龍之介「父」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「父」は、1916年5月に発表されました。 同年の2月には、「鼻」が発表されています。「鼻」は、師である夏目漱石の激賞を受け、「芋粥」(9月)と「手巾(ハンケチ)」(10月)の二作で文壇デヴューを果たすきっかけとなりまし…

芥川龍之介「猿」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「猿」は、1916年9月に発表されました。 同日には、芥川の「芋粥」が公の雑誌『新小説』誌上に発表されています(今回の作品は、同人雑誌の第四次『新思潮』に掲載)。 同作は芥川の最初の単行本『羅生門』(1917年5月)にも収…

芥川龍之介「芋粥」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「芋粥」は、1916年9月に発表されました。 この作品は、鈴木三重吉の『新小説』誌上に掲載されました。回覧雑誌や同人雑誌ではない一流雑誌に載った作品としては、初めてのものです。 掲載のきっかけは、同年2月の第四次『新思…

芥川龍之介「松浦一氏の「文学の本質」に就いて」 あらすじ/ノート

1916年1月、芥川龍之介(1892~1927年)は『読売新聞』上に、「松浦一氏の「文学の本質」に就いて」を発表しました。 発表の時期としては、1915年11月の「羅生門」よりは新しいですが、「鼻」が翌1916年2月の作品なので、その少し前に発表されたものと言えま…

芥川龍之介「鼻」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「鼻」は、1916年2月に発表されました。 この作品は師の夏目漱石に激賞され、芥川は「芋粥」と「手巾(ハンケチ)」を、それぞれ『新小説』と『中央公論』に発表する機会を得ることができました。 同作を発表した第四次『新思潮…

芥川龍之介「手巾」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「手巾(ハンケチ)」は、1916年、『中央公論』誌上に発表されたものです。 すでに、1915年に「羅生門」を発表していた芥川は、翌1916年の「鼻」が師の夏目漱石に認められたことをきかっけに、「芋粥」(9月)と「手巾」(10月…

芥川龍之介「老年」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「老年」は、1914年に発表されました。 当時、芥川は東京帝国大学文学部英文科に在籍していました。第三次『新思潮』に掲載された「老年」は、作者の作品で初めて活字化されたものなので、これを処女作とすることもできます。 …

芥川龍之介「道祖問答」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「道祖問答」は、1917年に発表されました。 前年の「鼻」が師の夏目漱石に認められた芥川は、『新小説』に「芋粥」を、『中央公論』に「手巾(ハンケチ)」をに発表して、文壇デヴューを果たしていました。 1917年1月、「MENSUR…

芥川龍之介「孤独地獄」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「孤独地獄」は、1916年4月に発表されました。 前年の「羅生門」が意外にも反響を生まなかった芥川ですが、1916年の「鼻」が師の夏目漱石に認められたことで、「芋粥」、「手巾(ハンケチ)」で文壇デヴューを果たすことができ…

芥川龍之介「ひょっとこ」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「ひょっとこ」は、1915年に発表されました。 同年、「羅生門」が『帝国文学』の十一月号に掲載されていますが、今回の作品は遡って、同誌の四月号に載ったものです。 これらの二作は、「羅生門」をも含めて、発表当初にはほと…

芥川龍之介「私の文壇に出るまで」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「私の文壇に出るまで」は、1917年8月に発表されたものです。 この頃の芥川は、前年の「鼻」が師の夏目漱石に認められたことで、「芋粥」や「手巾(ハンケチ)」で文壇デヴューを果たし、新進作家としてのスタートを切り出した…

芥川龍之介「運」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「運」は、1917年に発表されました。 1916年の「鼻」が師の夏目漱石に認められたことをきっかけに、芥川は「芋粥」と「手巾(ハンケチ)」で文壇デビューを果たしました。 この頃僕も文壇へ入籍届だけは出せました。まだ海のも…

芥川龍之介「MENSURA ZOILI」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「MENSURA ZOILI(メンスラ ゾイリ)」が発表されたのは、1917年のことです。 タイトルはラテン語で「ゾイリア国の物差し」という意味です。 芥川は前年、「鼻」が師である夏目漱石に激賞されたことで、「芋粥」や「手巾(ハン…

芥川龍之介「羅生門」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「羅生門」は、1915年、『帝国文学』誌上で発表されました。 しかし、作者の自信にも関わらず、この作品は発表時、ほとんど反響を得ることができませんでした。 芥川が文壇デヴューを果たすのは、翌年、「鼻」が師である夏目漱…

芥川龍之介「文学好きの家庭から」 あらすじ/ノート

芥川龍之介(1892~1927年)の「文学好きの家庭から」は、1918年に発表されたものです。 この年、芥川は海軍機関学校の英語教師を務めながら、「地獄変」(5月)、「蜘蛛の糸」(7月)、「奉教人の死」(9月)、「枯野抄」(10月)などの、初期の傑作を世に…

バレエ音楽<ジゼル> アドルフ・アダン

バレエ音楽<ジゼル>(1841年)は、アドルフ・アダン(1803~1856年)が作曲したものです。 そのお話は、幻想的な悲恋の物語で、精霊ウィリになってしまったジゼルと、恋人ロイスとの永遠の別れが語られています。 以下、アドルフ・アダンの略歴と、<ジゼ…

孤独な哲学者 後期ニーチェの生涯

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844~1900年)は、1869年、24歳の若さでバーゼル大学の文献学教授となり、作曲家ワーグナーと親交を結びました。 しかし、1876年、バイロイト劇場で試演された<ニーベルンゲンの指輪>以来、ニーチェは心理的にワー…

青年ニーチェ ワーグナーとの決別と自立

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844~1900年)は、プロイセン領ザクセンの田舎町レッケンで生まれ、ライプツィヒ大学卒業後、24歳の若さで、スイス・バーゼル大学の文献学教授となりました。 青年期のニーチェが強い影響を受けた代表的人物は、作曲…

19世紀 フリードリヒ・ニーチェの時代

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844~1900年)はプロイセン領ザクセンの田舎町レッケンで生まれました。 ニーチェはライプツィヒ大学卒業後、24歳の若さでスイス・バーゼル大学の文献学教授となり、スイスで作曲家ワーグナー(1813~83年)と親交を…

バレエ音楽<コッペリア> レオ・ドリーブ

バレエ音楽<コッペリア>(1870年初演)は、「フランス・バレエ音楽の父」とも言われるレオ・ドリーブ(1836~1891年)が作曲しました。 これは、人形師コッペリウス博士の作った、人形コッペリアに浮気心を持ったフランツを救うため、その婚約者スワニルダ…