芥川龍之介(1892~1927年)の「道祖問答」は、1917年に発表されました。
前年の「鼻」が師の夏目漱石に認められた芥川は、『新小説』に「芋粥」を、『中央公論』に「手巾(ハンケチ)」をに発表して、文壇デヴューを果たしていました。
1917年1月、「MENSURA ZOILI(メンスラ ゾイリ)」、「尾形了斎覚え書」、「運」が同日に発表されました。更に同月、これらに少しだけ遅れて発表されたのが、今回の作品です。
以下、詳細なあらすじと、作品の補足(あるいはノート)です。
(1)あらすじ
天王寺の別当、道命阿闍梨(あじゃり)は、一人そっと床を抜け出して、経机の上の法華経八の巻を、切灯台の灯の下に広げた。
春の夜は唯、森閑と更け渡って、耳に入るのは几帳の向こうで横になっている、女の寝息ばかりである。
阿闍梨は藤原道綱の子で、天台座主・慈恵の弟子であるが、三業も修せず、五戒も持さない。それどころか、まるで色を好むかのような生活さえ続けている。
しかし、阿闍梨はその生活の合間に、法華経の読誦だけは怠らない。阿闍梨は女を起こさないよう、まだ酒臭い唇で、静かに経を誦し始めた。
しばらくすると、切灯台の灯が、少しずつ暗くなり出した。更には、その向こうの空気ばかりが濃くなって、それが次第に、影のような人の形になって来た。
影は遂に翁の姿をとったが、白の水干に、黄の扇を握っている、その様は狐狸の変化とも思われない。
影は初め、五条の翁とばかり名乗ったが、阿闍梨が更に問うと、五条の道祖神(さえのかみ)であると、その正体を明かした。
聞くと、道祖神は阿闍梨が経を誦すのを聞いた嬉しさに、一言礼を言おうと、姿を現したのだと言う。
――清き身でお読みになる時には、梵天帝釈(ぼんてんたいしゃく)から諸仏菩薩まで耳をお澄ましになりますが、私は下賤の悲しさに、近づく事も叶わず……
が、今宵は女人の肌に触れられての御読誦で……されば、恵心の御房も、念仏読経四威儀(しいぎ)を破る事なかれと仰せられましたので、今後は……
しかし、これを「黙れ」と一喝したのは、他でもない阿闍梨である。
――よく聞けよ、生死即涅槃、煩悩即菩提というのは、己の身の仏性を観ずるという意である。道命は無戒の比丘であるが、すでに三観三諦即一心の醍醐味を味得している。よって、男女の交わりも万善の功徳である。お前の如き者が、みだりに容喙すべき境涯ではない。
そう言って、阿闍梨は居住まいを正し、水晶の念珠を振って、𠮟りつけた。
すると、道祖神は扇で顔を隠すようであったが、影は見る見る薄くなって、蛍ほどになった切灯台の灯と共に、ふっと消えてしまった。と、一番鶏の勇ましい声が、遠くから微かに聞こえた。
(2)ノートA(事実関係)
1915年11月、芥川は『帝国文学』誌上に「羅生門」を発表しました。しかし、意外なことに、「羅生門」は発表当初、ほとんど反響を得られませんでした。
同月、芥川は友人の久米正雄と共に、夏目漱石の面識を得ました。以後、芥川はその木曜会に出席することになります。
転機となったのは、翌1916年2月に第四次『新思潮』誌上で発表した「鼻」が、師の夏目漱石に認められたことです。
これをきっかけに、芥川は「芋粥」(9月)を『新小説』誌上に、「手巾」(10月)を新人作家の登竜門『中央公論』誌上に発表する機会を得て、文壇デヴューを果たすことができました。
この頃僕も文壇へ入籍届だけは出せました まだ海のものとも山のものとも自分ながらわかりません。(原善一郎宛て書簡/1916年)
しかし、一般的に、芥川は颯爽と文壇デヴューを果たしたものとイメージされる事が多いですが、実際には、既存の自然主義文壇からの無理解と批判に晒されることにもなりました。
例えば、「手巾」発表の翌11月、文壇の代表的人物である田山花袋は、同作を以下のように批評しています。
かういう作の面白味は私にはわからない。何処が面白いのかといふ気がする。この前の『芋粥』でも何に意味を感じて作者が書いてゐるのか少しもわからなかった。(「一枚板の机上―十月の創作其他」『文章世界』)
1917年1月、「MENSURA ZOILI」や「運」の発表時に置かれていた作者の状況は、以上の如くでした。特に、前者は芥川が受けた批判への反論として書かれたという点で、興味深い作品です(詳しくはこちら)。
今回の「道祖問答」もまた、同月に発表されたものです。これは、主に『宇治拾遺物語』を典拠とし、『大阪朝日新聞』の夕刊に掲載されました。
(3)ノートB(個人的解釈)
ここからは、ごく簡単に、作品の個人的解釈を記します(直観的に読んでいるだけなので、資料的な裏付けはありません)。
今回の作品は、「羅生門」(1915年)、「地獄変」(1918年)、「六の宮の姫君」(1922年)などと共に、王朝物に属するものと言えるでしょう。
調べてみると、岩波文庫に同作を収録しているものがあるようです。短いながらも内容の充実を感じさせる良作と思います。
道祖神さえ叱りつける道命の意志の強さには、私には何か理解が及ばない所がありますが、その手厳しい姿に、奇妙にも私が思い出したのは、「六の宮の姫君」の姫でした。
姫は頼りにしていた男を待って死んでいき、法師には「極楽も地獄も知らぬ、腑甲斐ない女の魂」と哀れまれる、言わば、弱い女です。
それが、弱さとは無縁そうな道命と重なるのは、私の目に、彼らの輪郭のはっきりとした魂が見えるようだからだと思います。
この作品で、思想的に重要な箇所は、非常に明確に表されています。
よう聞けよ。生死即涅槃と云ひ、煩悩即菩提と云ふは、悉く己が身の仏性を観ずると云ふ意(こころ)じゃ。
仏教をよく知らずとも、これが「極楽も地獄も知らぬ」境涯を脱した、生命や存在それ自体の尊さ、光を説くものであることは、何となく分かります。
あるいは、単純に、人生の肯定と幸福と捉えてもいいでしょう。何にせよ、原典からこの説話を敢えて抜き出した芥川の感性を、私は先の引用に感じます。
すなわち、ある種の怪異譚の、物語としての面白さを超えた純粋性を、この作品は備えているのではないかと、私は考えるのです。
そういう意味で、この作品の奥深い所に、「老いたる素戔嗚尊」(1920年)、「蜘蛛の糸」(1918年)、「トロッコ」(1922年)などの童話作品に見られる、水晶のような美しさを発見することも可能でしょう。
水晶とは、すなわち作者の精神です。この小品には、説話に感応した芥川の精神から流れ出た、清々しい空気の満ちている事が、私には、不思議と感じられたように思います。
(4)参考図書
芥川龍之介「道祖問答」『芥川龍之介全集 第一巻』(岩波書店)
関口安義『芥川龍之介』(岩波新書)
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