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from my dear Andromeda

芥川龍之介「蜘蛛の糸」(『赤い鳥』創刊号 大正七年七月)

芥川龍之介(1892~1927年)の「蜘蛛の糸」は、『赤い鳥』創刊号(1918年7月)に掲載された、作者の童話作品の傑作の一つです。

鈴木三重吉は芥川と同じ漱石門下の先輩で、文壇デヴューを手引きしてくれた恩もあって、芥川は『赤い鳥』の創刊に協力したようです。

なお、芥川は未完を含めて、生涯で10の童話作品を残していますが、その内の5つの作品を『赤い鳥』で発表しています。

以下、作品の詳細なあらすじと、『赤い鳥』の概要、及び「蜘蛛の糸」に関する幾つかの事項を記していきます。

 

 

(1)あらすじ

ある日の事でございます。お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、一人でぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。

やがて、お釈迦様は池のふちにお佇みになると、ちょうど池の下に当たっている地獄の底の様子を、蓮の葉の間からご覧になりました。

そこで、お釈迦様がお目に止めたのは、カンダタという男が、他の罪人たちと一緒になって蠢いている姿でございます。

人を殺したり、家に火をつけたり、色々と悪事を働いた大泥棒のカンダタは、たった一度だけ、小さな蜘蛛に慈悲心を起こし、踏み殺すのを思い止まったという、善い事をした覚えがございます。

お釈迦様は、それだけの善い事をした報いに、出来るなら、この男を地獄から救い出してあげようとお考えになりました。

そこで、お釈迦様は美しい銀の蜘蛛の糸をそっとお取りになると、遥か下にある地獄の底へ、それをお下ろしになりました。

その時、様々な地獄の責め苦に疲れ果てたカンダタは、他の罪人たちと一緒に、血の池の血に咽びながら、唯もがいていました。

ところが、カンダタが何気なく顔を上げると、銀色の蜘蛛の糸が、するすると、自分の上に垂れて来るのでした。カンダタは、思わず手を打って喜びました。

カンダタは、早速、一生懸命に上へ上へと登り始めました。

しかし、やがて、カンダタが一休みと思って下を覗くと、罪人たちが、数限りなく一列になって、せっせとのぼって来るではございませんか。

もし、糸が途中で切れてしまったら――カンダタはつい、「こら、この蜘蛛の糸は俺のものだぞ」と、大きな声で叫びました。すると、その途端、蜘蛛の糸はぷつりと音を立てて、切れてしまいました。

お釈迦様は、その一部始終をじっと見ていらっしゃいました。

が、カンダタが元のように血の池の底に沈んでしまいますと、悲しそうなお顔をなさりながら、また、ぶらぶらと極楽をお歩きになり始めました。

 

(2)『赤い鳥』

①芥川龍之介と『赤い鳥』

1916年2月、芥川は第四次『新思潮』誌上に「鼻」を発表しました。同作は、師の夏目漱石の激賞を受けることになります。

これをきっかけに、芥川は「芋粥」を『新小説』(9月)に、「手巾(ハンケチ)」を『中央公論』(10月)に発表する機会を得ました。

これら二誌は、回覧雑誌や同人雑誌ではない、初めての公の一流雑誌で、芥川は上記二作によって、文壇デヴューを果たすことができたのです。

 

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この時、『新小説』に「芋粥」を掲載させてくれたのが、同じ漱石門下の先輩、鈴木三重吉でした。

今回の「蜘蛛の糸」は、1918年7月、『赤い鳥』創刊号に掲載されましたが、創刊への芥川の協力の背景には、「芋粥」掲載時の恩もあったようです。

なお、芥川は未完成のものを含めると、生涯で10の童話作品を残しています。その内の5作品が、『赤い鳥』に掲載されました。

発表順に示すと、「犬と笛」(1919年)、「魔術」(1920年)、「杜子春」(同)、「アグニの神」(1921年)が、他に『赤い鳥』に掲載されています。

 

②『赤い鳥』の概要

鈴木三重吉の『赤い鳥』は1918年7月に創刊され、彼の死によって、1936年10月号を最後に終刊となります。

最盛期は3万部を発行しましたが、世界恐慌時(1929年)には読者が急減し、一時休刊とした上で、1931年1月号から再刊されています。

同誌刊行における鈴木三重吉の問題意識は明らかで、巻頭の「「赤い鳥」の標榜語(モットー)」によれば、以下の通りです。

すなわち、「現在世間に流行してゐる子供の読み物の最も多くは、その俗悪な表紙が多面的に象徴してゐる如く、種々の意味に於いて、いかにも下劣極ま」り、「こんなものが子供の真純を侵害しつゝある」と、彼は難じます。

そのため、「子供の純性を保全開発するために、現代第一流の芸術家の真摯なる努力を集め」る「一大区画的運動の先駆」となることこそが、『赤い鳥』の使命だと言うのです。

同誌に載った有名作品としては、新美南吉の「ごんぎつね」、北原白秋の「からたちの花」、西條八十の「かなりや」などがあります。

一方で、『赤い鳥』は作家の童話や童謡ばかりではなく、全国の子どもや大人の投稿作品をも集めて、掲載した所に特徴があります。

その際の鈴木三重吉の意図もはっきりとしていて、彼は創刊号の中で、以下のように説いています。

文章は、あったこと感じたことを、不断使つてゐるまゝのあたりまへの言葉を使つて、ありのまゝに書くやうにならなければ、少くとも、さういふ文章を一番よい文章として褒めるやうにならなければ間違ひです。(「選後に」)

彼は「現在の表現の根本の刺激は写生文である。私は、写生文の『真実』を好いたのである」(「文章雑話」)とも言っており、正岡子規から夏目漱石に至る写生文学の流れに影響を受けていることが分かります。

童話作家の坪田譲治は同誌に関して、「童話と童謡と綴方と自由詩と、この四つのものに新風を吹きこみ、わが国の児童文学に、不滅の功績を残し」たと言い、高く評価しています(「『びわの実学校』創刊まで」)。

 

(3)「蜘蛛の糸」に関して

芥川の「蜘蛛の糸」の典拠としては、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(1880年)にある「一本の葱」説も以前はありましたが、現在では、鈴木大拙訳の『因果の小車』がそれと考えられているようです。

これは、ポール・ケーラスの『カルマ』を、鈴木大拙が翻訳したものです。

芥川の「蜘蛛の糸」は短い作品なので、『因果の小車』の中の話を色々と省略しているのですが、その中でも私が重要と思ったのが、カンダタがお釈迦様に対して慈悲を乞う、以下の場面です。

大慈大悲の御仏よ願わくは憐をたれさせ給へ。わが苦悩は大なり、われ誠に罪を犯したけれども正路を踏まんとの心なきにあらず。されど如何にせん遂に苦界を出づる能はず。世尊願はくは吾を憐み救ひ給へ。

一方、芥川のカンダタは、蜘蛛の糸が思いがけず垂れて来たのを見て、「思わず手を拍って喜び」、登りながら「しめた。しめた」と笑うような、野卑た様子ばかり見せているような印象を受けます。

最後には同じ結末になるとは言え、最初にお釈迦様に慈悲を乞うて見せた、『因果の小車』のカンダタと、様々な地獄の責め苦に疲れ果てながらも、突然の好機に手を打って喜び、俄かに元気づくカンダタ。……

これは、私の理解ですが、カンダタが救われるかどうかは、小さな蜘蛛に対して見せた慈悲心を、ここで思い出すことができるか否かによっていました。

しかし、芥川の描くカンダタに、読者がその可能性を感じられるとは、なかなか思われないと言うべきではないでしょうか。

なお、説話としての「蜘蛛の糸」の背景には、「小善成仏」説という、ある種の通俗的な仏教説があるようです。以下、『因果の小車』の該当箇所です。

而して善行は之に反して生に赴くの道なり。われらの一言一行も必ず其終りあれども、善行の進歩には極あることなし。一小善と雖も其裡には新しき善の種子あるが故に、生々として長じて已まず。

ところで、小島正二郎によれば、芥川の「蜘蛛の糸」の原稿を受け取った鈴木三重吉は、「旨いねえ、水際立ってゐやがらぁ」と感嘆したそうです。

一方で、読者の素朴な反応としては、カンダタを見限って悠々としている(ようにも見える)お釈迦様に対して、何となく反感を抱く場合も少なくないようです。

私の印象では、罪人たちが蠢き、数えきれない罪人が「自分が、自分が」と、蜘蛛の糸に一列になっている地獄の底と、ゆったりゆったりとした極楽との対比が、どこまでも強調されているように感じられます。

正宗白鳥などは、同作を「ストーブで暖められた温室的書斎での仮寝の夢に過ぎないように思われる」と言っているそうです。

恐らく、白鳥は先に言った、ゆったりゆったりとした極楽の空気に、何か虚構を感じているのではないかと思います。

しかし、作者の描く地獄の様相に目を転じれば――そこには、むしろ徹底したリアリズムが見られるとも言えるのではないでしょうか(ただし、人間という存在に期待を抱かせないということが、リアリズムなのであれば)。

 

(4)参考文献

芥川龍之介「蜘蛛の糸」『蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇』(岩波文庫)

関口安義『芥川龍之介』(岩波新書)

武藤清吾「『赤い鳥』とその時代」『フランス文学 第三十二号』(2019年)

深津謙一郎「『赤い鳥』の芥川」『文學藝術 第四十二巻』(2019年)

袴谷憲昭「芥川龍之介と『蜘蛛の糸』」『駒澤大學佛教文學研究16』(2013年)

生野金三「『蜘蛛の糸』の材源をめぐって」『人文科教育研究 第八巻』(1981年)

 

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