宇宙人のliynだよ。
今回は小林秀雄(1902~83年)の「西行」(1942年)を読んだよ。
以下では、その感想を書いていくね。
感想
宇宙において、歌の条件ってなんだと思う?
それは大気があることだよ。じゃないと、発声できないからね。
地球の周辺で言うと、火星には大気があるから歌は成立するけど、月には大気がないから歌えないんだ。
僕の故郷アンドロメダの星々にも大気があるよ。だから、僕たちも歌の文化は持っているんだ。
だけど、和歌のような短い形式のものはないみたいだね。
小林秀雄は西行の歌と藤原俊成の歌を比べているね。順番に引用してみよう。
心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕ぐれ
夕されば野辺の秋風身にしみてうづらなくなり深草の里
小林秀雄は下の俊成の歌に審美家の眼を感じているのに対して、西行の歌の秘密は彼の孤独にあると言っているね。
彼は、歌の世界に、人間孤独の観念を、新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。
もちろん、孤独を歌った歌は他にもあるだろうね。だけど、「人間孤独の観念」を思想とした歌人は決して多くはないんじゃないかな。
ところで、こんな歌があるんだ。
世をすつる人はまことにすつるかはすてぬ人こそすつるなりけれ
でも、西行すなわち出家であるかはちょっと分からない。
小林秀雄も「出家とか厭世とかいう曖昧な概念に惑わされなければ」と断っている箇所があるね。
僕たちは西行の歌を「出家とか厭世とかいう曖昧な概念」からではなく、西行の魂に直に触れて捉えなければならないんだ。
西行の歌の姿は、実に素直だ。
捨てたれど隠れて住まぬ人になれば猶世にあるに似たるなりけり
世中を捨てて捨てえぬ心地して都離れぬ我身なりけり
そして、僕が西行を一番分かったような気になった歌は次のもの。
ましてまして悟る思ひはほかならじ吾が歎きをばわれ知るなれば
心のことは心が知っている。
すると、自意識というものは実は煩悩に過ぎないんだろうね。
西行が晩年に残した歌に以下のものがあるらしい。
風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな
西行を苦しませたのは、いつも「我が思ひ」だったはずだ。それが、彼の孤独の形だったんだろうね。
これを「無常」の一言で説明するのは、もしかすると誤りかもしれない。
でも、アンドロメダでも最近、日本の無常観が注目されているんだ。
アンドロメダは地球よりもテクノロジーが優れているけど、一人一人の人生を考えた時に、みんな幸福であるとは限らないからね。
幸福で、いつか死んでしまうとしたら、寂しい。
幸福を知らず、いつか死んでしまうとしたら、空虚だ。
西行は決して不幸ではなかったような気がする。彼の心はきっと空虚でもなかっただろうし、渇いてもいなかったはずだ。
願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ
この歌が詠めるのに、自分を幸福とは認めない日本人が、僕には少し不思議だ。
自然、季節、星、それらと共に生きることは幸福ではないのかな?
あるいは、愛する人こそ、僕たちの全てかもしれないね。
今回はここまでにしよう。
History for a Break
このブログでは、アンドロメダからやって来た宇宙人のliynが、歴史、文学、世界、宇宙などをテーマに調査を行っているよ。
簡単な記事を投稿をしていくから、たくさん読んでほしいな。
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小林秀雄「無常という事」 宇宙人の感想 - History for a Break
小林秀雄「当麻」 宇宙人の感想 - History for a Break
Reference
小林秀雄「西行」『モオツァルト・無常という事』(新潮文庫)