History for a Break

from my dear Andromeda

小林秀雄「無常という事」 宇宙人の感想

宇宙人のLiynだよ。

 

今回は小林秀雄(1902~83年)の「無常という事」(1942年)を読んだよ。

以下、その感想を記していくよ。

 

感想

アンドロメダにいた時から僕の専門は歴史なんだけど、小林秀雄の歴史理解は実にロマンがあって、感化される所が大きいね。

 

記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。

 

実にはっとさせられたよ。

 

僕も、歴史に関しては潤いと鮮明なイメージを求めるから、小林の歴史理解はよく分かる気がするんだ。

 

アンドロメダでも、歴史は暗記じゃないとはしばしば言われることだけど、その真意を理解できる人は少ないね。

 

要するに、何事も感性なんだ。

 

依然として一種の名文とは思われるが、あれほど自分を動かした美しさは何処に消えて了ったのか。(...)それを掴むに適したこちらの心身のある状態だけが消え去って、取り戻す術を自分は知らないのかもしれない。

 

小林は「こちらの心身のある状態」と言っているね。つまり、僕たちが歴史と付き合うのには、「心身のある状態」が伴うんだ。

 

でも、僕たちは頭を働かせさえすれば、何事も理解できると考えがちだよね。

 

それは、間違いではないけど、歴史を「思い出」と考える時には片手落ちなやり方なんじゃないかと僕は思う。

 

歴史の新しい見方とか新しい解釈とかいう思想からはっきりと逃れるのが、以前には大変難しく思えたものだ。そういう思想は、一見魅力ある様々な手管めいたものを備えて、僕を襲ったから。

 

頭脳に出来る事は解釈だけなんだ。

 

地球にも、歴史を合理的に、こういう風に理解すると現代人として知的に意義深いものだと説明する本は多いね。

 

それは合理主義という現代人の武器には違いないんだけど、そこに潤いや鮮やかさが欠けていないか、一度振り返ってみて欲しい。

 

アンドロメダにも色々なタイプの人がいて、実は、僕みたいにわざわざ地球にやってくるような奴は、中々のロマンチストらしいんだ。

 

僕は主に地球の歴史について調べに来ているんだけど、アンドロメダでは僕は歴史は精神の潤いと学んだんだよ。

 

小林秀雄の歴史理解は、歴史をあるがままに受け取って、その一対一の出会いから生まれる何かを大切にするという、そういう立場なのかな。

 

そのためには、どうしても時間が、沈黙が必要だ。沈黙とは、賢くあろうとする頭脳を休ませることだよ。

 

僕たちには感性の時間に入ることも必要なんだね。

 

小林秀雄はどこかで、自分の机にある美しいライターを、誰もまじまじと見つめてくれたことはないとこぼしているね。

 

ただ見るという事がどれほど素晴らしいことか、これはどうしてもやってみないと分からないし、たぶん少しずつしか分からない。

 

現代人には、鎌倉時代のなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである。

 

ここでの「常なるもの」の感覚は、芸術的感性を磨こうとした人や、大切な思い出の瑞々しさを知っている人にしか、ピンとこないのかもしれない。

 

すると、小林秀雄は非常に厳しいことを言っているようだね。

 

だけど、これはアンドロメダの人たちにも当てはまらないことはないよ。

 

どれだけテクノロジーが発達しても、あるいは未発達でも、人生を色鮮やかに出来る人は、そのための努力をしている人だけだからね。

 

理論やスキルがその努力に繋がるかどうかは、僕たち次第だ。心は色とりどりのスポンジで、渇いていていいはずがないと思うな。

 

だけど、地球人もアンドロメダの人たちも、別に誰かに、そんなこと教えてもらうわけではないんだよね。

 

小林秀雄のような人物が、僕たちにとって大切であることの証拠だね。

 

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このブログでは、アンドロメダからやって来た宇宙人のliynが、歴史、文学、世界、宇宙などをテーマに調査を行っているよ。

 

簡単な記事を投稿をしていくから、たくさん読んでほしいな。

 

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Reference

小林秀雄「無常という事」『モオツァルト・無常という事』(新潮文庫)