一人の患者の体験談
はじめまして、Liynです。
今年の一月から三ヶ月間、僕は統合失調症のため精神科病棟に入院していました。
入院は二回目で、五年ほど前にも一度経験しています。
最初の入院は発症による混乱が原因でしたが、今回の入院は主に投薬を怠ったことによる症状の悪化でした。
今回の入院を経て、僕はLAIという注射治療を開始し、完全ではないとは言え、現在ではほとんど幻聴などの症状から解放されています。
統合失調症の治療において必要な3つのもの
さっそくですが、今回お伝えしたいのは、一体何が僕の統合失調症を緩和しているのかということです。
僕の理解では、統合失調症は一度発症すれば完治せず、日常生活を症状から解放されて送れている状態は「寛解(かんかい)」と言うのだと思います。
そうであれば、僕は現在ほとんど寛解と言っていい状態にあると言えます。
しかし、たった三ヶ月間の入院とその後のデイケア利用によって、なぜ症状が緩和されているでしょうか。
それに関しては、僕個人の意見では、ある程度明快に主要な三つの要素を取り上げることができると思います(ただし、僕自身は一人の患者に過ぎないことをお断りさせて頂きます)。
①必要な投薬
②十分な休息
③健全なコミュニケーション
これら三つの要素が、僕の統合失調症を緩和する上で重要であり、生活の基本的な枠組みを構成するものだと考えます。
投薬
以上の三つの中で、どれが一番大事であるかと言われれば、僕は迷わず投薬であると答えます。
僕の経験上、投薬は症状を「根絶」するものではなく、緩和するものです。
僕の場合、ほとんど何も気にせずに数日過ごしていることもあります。幻聴などよりも疲れやすさの方が気になっていると言えるかもしれません。
薬が効かないから飲まないというのは正しい態度ではないようです。
それにも関わらず、薬は飲まなければなりません。効かないと思うのであれば、医師に相談する必要があります。
僕の場合、医師に相談せずに個人的判断で投薬を中断し、症状の悪化により入院となりました。
休息
とは言え、確かに僕は長い間薬を服用していましたが、あまり効果を実感できずに過ごしていました。それについてはどう言えるのでしょうか。
それに関しては、僕には休息が足りていなかったというのが答えになります。
変な話ですが、僕は23歳頃からつい最近に至るまで、カラオケに対して非常に強い執着を持っていました。
元々、音程やリズムがきれいにとれていないことがショックで、個人的に練習を始めたものですが、初めて幻聴を経験したのもカラオケボックスでした。
一人カラオケとは言え、周りの音や声は気になるものです。そのような状況下で自分を追い詰めたことが、病気の発症と悪化の一つの原因だったと思います。
特に再入院の前は酷く、やっぱり不満だが、前よりは上手くなっている、という毎日の繰り返しで止めるに止められず、段々狂ったように練習するようになりました。
一種の躁状態でもあり、夜眠られず、休憩を挟まずにカラオケのフリータイム8時間を過ごしたりしていました。
その状態から完全な休息状態へと移行することが、症状の緩和において絶対的に必要だったと思われます。結果的に、入院は僕にとって必要な時間でした。
コミュニケーション
入院生活で僕を大きく変えたのは、多くの患者さんと会話し、問題を聞き、それを一緒に整理した上で自分の考えをお伝えするという経験を繰り返したことです。
実は、これは一つの僕の問題でもあり、担当医師によれば、統合失調症の患者は優しい人が多く、僕などは、恐らく他の患者さんの聞き役になってしまい、場合によっては疲弊してしまうだろう、と思われていたようです。
実際、僕は最近では自分から進んで人の悩みを聞いたりはしなくなりました。
アドラーの心理学に、「課題の分離」という考え方があります。簡単に言えば、結局のところ、判断し選択し行動していくのは各個人ということです。
僕たちは誰かの人生の伴走者ではなく、自分自身の道を一人で歩いているので、他人の歩みにどこまでも付き合わなければならない道理はないということです。
そして、それは不可能であるというのが、「課題の分離」の考え方です。
恋人や家族を考えれば、あまりにも冷たい考えのようにも思われますが、「この人はきっと大丈夫」と信じて、何もしないというのも愛だと思います。
身を切らなければ愛じゃないという考え方である必要はありません。一方で、別の道を歩きながらも近くにいる、いたい、気付けば同じ道にいる、という素敵なことも確かにあると信じます。
人は人、自分は自分という考え方にも、各個人のニュアンスがあります。一見冷たく感じられるのは、もしかしたら先入観に過ぎないかもしれません。
一般的なイメージで考えるのではなく、自分にはどのような理由で「課題の分離」の考え方が必要なのか、という視点で納得していく必要があると思います。
自信
ここで、話の流れを元に戻させて下さい。
僕の場合、他の患者さんの聞き役になるということは、一つの僕の問題であり、そのあり方を考え直す必要がありました。
しかし、入院中の経験は確かに僕にとって必要なものであったと言えます。その経験が僕の僕自身に対する自信を高めてくれたからです。
ここで言う自信が、自分自身に対する己惚れなどではなく、どちらかと言えば他者に対する貢献感に基づく満足であるということに注意が必要です。
それは、他者との結びつき、帰属感を得ることに繋がりました。また、自分の価値を感じられたことにより、以前よりも精神的な落ち着きを得ることができました。
承認欲求と恨み
統合失調症の原因についてどう考えるかというのは難しい問題です。
脳など身体的な疾患なのか、精神的なものか、環境的なものか、様々なアプローチが考えられます。
一応、統合失調症の化学的な原因はドーパミンの過剰分泌であり、投薬はドーパミンを抑える働きをしてくれているはずです。
しかし、過去や現在の問題が精神的な疾患となって表れているという側面は否定できないのではないかと思います。
僕の場合、かつての大学生活における両親への不満と、無意味とも思えるカラオケ練習のための承認欲求が強く、そして病的に作用していたように思われます。
幸いにも、短い入院生活ではありましたが、両親への不満は休息が(僕は誰かに休ませてほしかっただけなのかもしれません)、褒められたいという承認欲求は、入院中やデイケアでのカラオケプログラムで他の患者さんの反応を得たことが、解消してくれたようです。
さいごに
最後に見たように、心理的な自己分析が必要になる場合もありますが、多くの問題は最初に提示させて頂いた三つの治療要素の枠組みの中で、十分な解決を見られると思われます。
以上、僕は一人の患者に過ぎず、今回の記述は医術的なものではないことをお断りしておきますが、少なくとも僕に言えることは、もしあなたが休息を必要としているのであれば、ぜひお休みして下さい。
入院も場合によってはポジティブな選択肢の一つです。その場合、必要な休息と学びがそこにあることを願います。
ありがとうございました。