中島敦は1909年に生まれ、肺を病んでいたことから、太平洋戦争さ中の1942年に亡くなりました。
彼の「山月記」は高校の教科書に長らく採用されており、僕たちの多くがその作品を味わった経験を持ちます。
一方で、主人公が虎になるという物語の筋に、多くの読者が小説らしい興味を感じると同時に、なぜ彼は虎になったのかという疑問を抱くようです。
なぜ李徴は虎になったのか?
李徴が虎になった理由については、彼自身が作中でそれなりの説明をしてくれていますので、まずはその通りに読んでいきましょう。
彼は以下のように言っています。
己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、噴悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使いであり......己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。
キーワードは「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」です。李徴はほとんど同じ意味でこの二つの言葉を使っているようです。
もし、なぜ李徴が虎になったのかという問いに簡潔に答えるのであれば、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心のため」と言っていいでしょう。
妻子を苦しめ
もしかすると、少なからぬ読者が虎になるという李徴の運命を、自業自得や罰という言葉で理解しているかもしれません。
そうだとすると、なぜ李徴は虎になったのかという問いの答えは、例えば「妻子を苦しめたから」というようになるでしょう。
これは、決して間違いではないと思います。
しかし、少し厳しめに考えてみると、妻子を苦しめたということは、李徴の「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」という「猛獣」が、他者に対して向かった事例の中の一つに過ぎないとも言えます。
なので、より根本的には、妻子を苦しめたといったような具体的な行為を原因とするのではなく、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」という心理的な衝動がそのまま虎に化けたといったように考えるとよいです。
切磋琢磨
高校生の時、僕はソフトテニス部でした。
しかし、僕はヘタクソだったので試合が嫌で仕方ありませんでしたし、やはり男子なので負けるのが格好悪いように感じていました。
僕は全く練習しなかったわけではないですが、練習中は少しおどけた感じや不真面目な感じを出してしまいましたし、結局部活は辞めてしまいました。
僕にとって部活はあまり大事なことではありませんでしたが、僕の心理は詩という勝負すべきもので切磋琢磨できなかった李徴のそれに似ていたと感じます。
李徴は以下のように言っています。
己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。
努力
最近の僕は、歌やギターを練習したり、ブログを書いたり英語の勉強をしたりしているのですが、努力って怖いですよね。
だって、「結果が出ない」という結果が出るかもしれないですから。
そこに「自分は特別である」という確信が加わると、李徴が誕生します。実際、李徴の見ている世界は決して世間並みではないのでしょう。
しかし、中島敦は中々辛辣で、李徴に彼の詩を披露させておいて、その友人に次のように言わせています。
成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか
非常に微妙な点
ここで、二通りの見方ができると僕は思います。
それは、李徴はその「非常に微妙な点」の下の方にいるのか、あるいはその更に上の方に半ば属しているのかという違いです。
この辺りの解釈は趣味の次元かもしれません。すなわち、李徴は非常に惜しいところで虎になったとするか、あるいは全然報われることのない努力の中で虎になったとするかということです。
李徴が虎になるという筋は、中島敦自身の自嘲でもあるはずなので、僕は長らく後者の読み方をしてきましたし、李徴にはあまり好意的になれませんでした。
しかし、最近の僕は「李徴は本当はすごかったのかもしれない」という読み方もあるなと思うようになっています(その是非については後述)。
同情
この点、李徴に同情できるか否かで、作品の印象が変わってくるようです。
以前、僕が李徴に同情できないと感じていた箇所があります。
己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。
この箇所と、李徴自身が「己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった」と反省している箇所が矛盾しているように僕には感じられます。
簡単に言えば、李徴は人を凡庸でつまらないと感じているから、師や詩友を求められなかったのです。彼が仲間を求め共に切磋琢磨するためには、その点を改める必要がありました。
しかし、虎になってまでも李徴はその癖を改めることが出来ていません。そういう意味で僕は李徴には同情できないと感じていました。
咆哮
虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。
僕は先ほど、「李徴は本当はすごかったのかもしれない」と言いましたが、やはり中島敦自身は、李徴にあまり好意的ではなさそうです。
李徴は虎になってまでも未だ迷いに囚われ、その中で浮かばれず、何か少しズレたところで傷心しているような、そんな風に読めます。
引用の箇所だと、「二声三声咆哮」という表現が、どこかあっさりとしていると言いますか、突き放していますし、「元の叢に踊り入る」は、結局また元の状態に戻っていく様を表しているようです。
結局のところ、総合的に読むと、「李徴は本当はすごかったのかもしれない」とばっちり読んでいくには、李徴はどこか人間的に純粋に成り切らないところがあると結論せざるを得ません。
そういう人物が詩で成功できるイメージを僕は持てません。詩の魅力は人間の魅力なのであって、文字を高度に操るだけの技術ではないからです。
虎になった理由
李徴が虎になった理由は先述の通り、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」のためという答えで変わりません。
自分が特別だと思い、実際に自分と他人の見ている世界が違うことに気付いている李徴は、その「自尊心」のために他人と交わることを拒みました。
一方で、李徴にはその他人が恐ろしかったはずです。結局、自分の才能が何か一歩及ばないものであることを、見破られたり、証明されたりしてしまうかもしれなかったからです。
彼の「自尊心」は師や詩友を求め共に切磋琢磨するのではなく、他人を攻撃することで他人を遠ざけ、自分を守るように働きました。
そして、その繰り返しが、更に彼の「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」を「飼いふとらせる」こととなり、李徴は虎になってしまったのです。
しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。......天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。
虎になった李徴が嘆いたのは、いずれ理性を失うであろうという運命よりも、彼が迷い込んでしまったその孤独でした。